生きていく上で大切にしていること
これから、私が闘病中にどんな生活をしていたか、どんな気持ちで闘病していたか等を具体的に、お伝えしていきたいと思います。
突然ですが、みなさんは、生きていく上で、大切にしていることはありますか?
私は、「タイミング」、「ご縁」、そして「勘」、この三つを常に意識しながら生きています。
なぜ、この三点なのか。
私は、趣味の占いが高じて、何年か前から、ご縁のあった方の人生相談をお受けするようになり、色々な方の人生をみさせて頂く機会がありました。その経験と、自己の経験から、人生って「タイミング」、「ご縁」、「勘」これのみ!と言っても良いかも、と思った次第です。
特に困難な状態になった時、冷静に「今は、どんなタイミングなのだろう?、動いて良い時なのか?そうでないのか?、自分の勘を信じて良いのか?誰に助けを求めれば良いのか?」と、自分を俯瞰してみるようにしています。
そして、私が、乳がんを告知された2019年は、自分の思っていたタイミングでは、体調を崩す年でした。
それまでの三年間は、動いて、やりたいことを現実にする年でしたので、がむしゃらに動き、思っていたこと(家の新築、猫と一緒に住めるシェアハウスの建設&立ち上げ、動物関連の資格取得、ペットシッター開業、次男の中学受験等)を現実化しました。
そして、2019年、動く事はやめて、休む年の到来です。その1月に、乳がんを告知されました。
この時私が思ったのは、「あ~~、体調崩すとは思っていたが、ここまでか、、でも、これほどの病気じゃないと、私、休まないものな、、この一年は、じっくり養生して、内面を見つめるってことだな、、やることやれば、絶対、元気になれるな!」と。
乳がん告知はショックでしたが、なぜか、私は自分の闘病がうまくいくことを確信していました。
告知までの経緯【1】
今回から4回に分けて、乳がん告知までの経緯をお伝えしたいと思います。
前回お話したように、2019年は体調崩すタイミングだと思っていた私は、2018年の後半、{そろそろ来年の準備をしないとなあ。とりあえず、健康診断は年内に終わらせておかないと。}と、思っていました。
この年の春に新居に引っ越しをしたので、新しい区での、健康診断は初めてです。区からの通知では、2019年の春まで有効との事でしたが、2018年の11月に予約の連絡をしました。区の施設で受ける一般検診は11月中に出来たのですが、婦人科検診(乳がん、子宮がん)は、区内の指定されたクリックに別に予約を取るとの事で、12月になってしまいました。
自宅から一番近いクリニックで受けることになったのですが、そこは、婦人科専門のクリニックで、婦人科の先生が子宮がんの検査と乳がんの検査を同時に行います。そして、乳がんの検査は触診のみ。
今まで住んでいた区での検診では、乳腺の専門医がいるクリニックで、触診、超音波、マンモグラフィーも行っていたので、区によって、違うものだな、と思いました。
結果は、子宮がん→問題なし、乳がん→左胸上部にちょっと気になる箇所がある。大丈夫だと思うが、自身で気になるようなら、区の施設にあるマンモグラフィーを受けるように、と言われました。
私は、何か嫌な予感がしたので、{すぐ、受けよう!}と思い、マンモグラフィーの予約をお願いしたのですが、混んでいて、二ヶ月後になるとの事(涙)
普段なら、検査自体、嫌な事ですし、二ヶ月先でも良し、としてしまうのですが、{いやいや、2019年に入ってしまうのは、まずい。ここは、二ヶ月待って、検診でマンモグラフィーをするのではなく、ちゃんとした乳腺の専門医に、すぐに診てもらった方が良いかも。}と、思いました。
告知までの経緯【2】
すぐに、前住んでいた区の検診でお世話になった、乳腺科のあるクリニックに連絡をしました。しかし、最近、乳腺科を閉鎖してしまったとの事(涙)
そこで、私は、ご家族がお医者様で、20代の頃から親しくさせて頂いている先輩に連絡して、どなたか、乳腺外科のドクターをご紹介頂けないかとお願いしました。もしかしたら、治療が必要になるかもしれないので、大きめの病院のドクターだと、ありがたいと。
彼女も人生のタイミングを意識しながら生きている方で、「何でもないと思うけど、サキちゃんの2019年を考えたら、ちゃんとしたドクターに診てもらった方が良いかも。私が昔から親しくしているドクターで、色々、顔が効く方がいるから、相談してみる。」と、言ってくださりました。
そして、年末年始の休みが明けた、2019年1月に、そのドクター(M先生)から紹介状を頂き、今の主治医(H先生)のいる病院に予約の連絡をしました。
が、乳腺外科の受付で、 H先生の予約は、1ヶ月先までいっぱいと、言われてしまいました(涙)すぐに診てもらいたい、と思っていた私は、ダメもとで、「M先生からの紹介なのですが、、」と言ってみました。
すると、「少々お待ちください、H先生に聞いてみます。」と言って頂き、その後、「H先生が、明日、昼休みの時間に診るとの事ですが、来られますか?」と、びっくりの回答が!!
M先生パワー、すごい!と内心思いながら、「はい、明日、必ず伺います。」と、即日予約を取る事が出来たのです。
告知までの経緯【3】
そして、今後長い間お世話になる、H先生との初対面です。わざわざ、昼休みを削って診て頂き、お会いする前から、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ご紹介頂いたM先生から、H先生の乳腺外科医としてのキャリアは伺っていたので、畏れ多い感じをイメージしていたのですが、大変柔和な感じで、素敵な先生でした。
そして、一般的な乳がんの検査(触診、超音波、マンモグラフィー)を一通りやって頂き、その後、H先生は、「今日、お時間ありますか?午後の予約の診察が終わった後になりますが、更に、詳しい検査をしたいのですが。」とおっしゃいました。
私は、その時、{やはり、何かあるのか、、、しかし、H先生、予約ないのに、さらに、お時間割いて頂き、本当にありがたい。}と思いながら、検査を受ける事になりました。
H先生から、「右胸に気になる箇所があるので、そこの細胞を採取して、生検に出します。」と説明がありました。「え?あの、区の検診では、左胸上部と言われたのですが、、」と言ってみましたが、「左胸の物は、良性の小さな乳腺腫なので問題ありません。問題は右胸です。」と。
{でも、右胸に良く言われるパチンコ玉みたいな、しこりなんて、感じないけど、、}と、思いましたが、実は、私の右胸は、母乳をあげ終わった頃(10数年前)から、胸全体が固くなっていました。その後、何回か乳がん検診をしていますが、これは、石灰化した状態なので大丈夫、と言われていたので、固くなっていたことを気にしていませんでした。
告知までの経緯【4】
一週間後、生検の検査結果が出ました。
結果は、右胸の上部に3cm大、下部に2cm大のがんがあることがわかりました。固くなっていた箇所全てが、がん組織と言うことです。
がん細胞の詳しい組織検査も、同時にしてくださり、「がんの増殖力が低いタイプであるので、ここまでの大きさになるには、かなりの時間、10年位かかっていますが、普通の検診では、見逃されやすいタイプのがんです」と言われました。
3年に一回位の割合で、検診は受けていたのですが、、つまり、私のがんは、初期の発見ではない訳です。
この時は、大変ショックでしたが、
{やはり、今年だもんなあ、、しかし、ここまで落とされるとは、、、仕方ない。しっかり、向き合って、どんな治療でも受け入れよう!}と、覚悟を決めました。
自分がまさか、がんを告知される日が来るとは、思いもよりませんでしたが、人生何が起こるかわからない、と言うことを、身をもって実感した瞬間でした。
あの時、二ヶ月先の区のマンモグラフィーや、前の区のクリニックの乳腺科が閉鎖されずで、同じ先生の検査を受けていたら、発見が遅れたり、発見されず、さらに、進行させてしまっていたかもしれません。とにかく早く専門医に診てもらわないと、と思った自分の勘を信じて動き、このタイミングで、H先生にご縁を頂けた事に感謝しかありませんでした。
治療方針【1】
今回&次回は、治療方針について、詳しくお伝えします。
告知されてから、すぐに全身への転移の有無を調べる精密検査をして、告知後2週間で、治療方針の説明がありました。H先生のスピーディーな対応に感謝です。
私の乳がんのタイプは、ホルモン受容体(ER、PgR)陽性、HER2陽性という、トリプルポジティブタイプの乳がん。大きさは、上下合わせて5cm、増殖するスピードは遅い。
H先生は、「乳房以外への転移はありませんでした。リンパ節への転移は画面上は認めらませんが、手術時に、乳房内から、がん細胞が最初にたどりつくとされている、センチネルリンパ節と言うリンパ節の生検をして、はっきりします。増殖するスピードも遅いタイプなので、がんの顔つきとしとは悪くないです。ただ、ちょっとした刺激で、がんを増殖させてしまうとされているHER2というたんぱく質が、陽性になります。一昔前でしたら、HER2陽性の場合、予後は悪いとされていましたが、数年前に、HER2をターゲットにした分子標的治療薬と言うのが出て、これが大変効果があります。さらに、ラッキーなことに、効果がある分子標的治療薬の一つで、今まで保険適用外だった薬が、昨年の秋に保険適用されたので、この2薬を使って治療をしっかりやっていただければ、私は、根治に近い結果を目指せると思っています。」と、おっしゃいました。
私は、ホルモン受容体だの、センチネルリンパ節、HER2???、聞きなれない用語で、頭の中は??でしたが、H先生の、「根治を目指せる」と言う言葉に、ピカッと光がさしたのを覚えています。(ちなみにこの2種類の分子標的治療薬、薬価が高く、保険適用外の場合では、1回の投与であわせて、100万円近くする薬です。保険適用されて、ラッキー!!)
治療方針【2】
H先生は、「昔はまず、手術をしていましたが、今は、術前に抗がん剤治療しても結果は変わらない事がわかっています。高石さんの場合は、局所の腫瘍を縮小させる目的よりも、検査ではわからない血液中に存在する微小ながん細胞を叩くために、術前に抗がん剤投与を行いたいと思います。血液中に存在するがん細胞が、転移をおこしますので、そのリスクを先に叩きます。」とおっしゃいました。
私は、すぐ、手術だと思っていたので、まず、抗がん剤!?って言うか、私、抗がん剤しなきゃいけないのか、、と思いました。
さらに、H先生は、「抗がん剤は、普通、原発巣に関しては、増殖力が強いタイプのがんに効果が出やすいので、今ある乳房の腫瘍が小さくならなくても、あまり気にしないでください。腫瘍が大きくなってきたら、薬があっていないので、変えますが、現状維持であれば、続けますので。とにかく、原発巣の腫瘍は、手術で取るので大丈夫です。」とおっしゃいました。
治療方針としては、術前に2種類の抗がん剤を、3週間毎に、4クール×2=8クール。後半の4クールは、分子標的治療薬も混合投与。終了後、右乳房全摘手術。リンパ節に転移がある場合は、切除後、放射線治療検討。その後、分子標的治療薬を3週間毎に14回投与。その後、ホルモン治療5年又は10年服用。
まさにフル治療、、(涙)。最後の分子標的治療投与終了時点で約1年半。それから、ホルモン治療がそんなに長く、、(涙)
私は、治療方針を聞いて、抗がん剤、手術、放射線は良いけれど、リンパ節切除とホルモン治療は、したくないなあ、、、この2つが無くなれば良いなあ、と密かに思っていました。
普通は、抗がん剤と手術を嫌がる方のほうが、多いと思いますが、私は、身体的には、乳房より、リンパ節の方が重要に思えたし、長期に服用するホルモン剤の副作用と何年も共存する自信がなかったのです。抗がん剤の方が、全身に副作用が出ても短期間なら、代替治療等で身体を上げていけば、気持ちも維持できるだろうと。
性格的にも長期戦より短期戦に燃えるタイプですので(笑)
とはいえ、私は、H先生に絶対の信頼をよせていたので、この先生のおっしゃる治療に全面的に従って、頑張って治すぞ!と思いました。
闘病方針
前回までは、主治医H先生からの治療方針をお伝えしましたが、今回は、西洋医学での治療をするにあたり、私が立てた闘病方針について、お伝えしたいと思います。
まず、「根本治療は西洋医学」で、行う。しかし、西洋医学での使う薬には、副作用が付き物です。また、手術をすれば、体力も落とされます。西洋医学の治療をするにあたり、そのリスクは、仕方の無いことです。しかし、普通の病気での、薬や手術なら、何もしなくても、乗り切れると思いますが、がんの治療のリスクはかなり大きなものです。特に抗がん剤は、がんも叩くが、身体全体も叩かれてしまう。そのダメージから、身体を上げる為の助っ人が必須と考えました。その助っ人として、東洋医学や食事等の代替治療を駆使しようと思いました。
そして、この代替治療を選ぶにあたり、私が大切にしたことがありました。私は、人生において、ついていない時期(→まさに、がんになってしまった、このような時期)には、自分から、新規開拓はしないようにしています。自分のエネルギーが落ちている時は、正しい判断が出来づらいと考えているからです。こう言う時期に、新しいものに、手を出すより、自分のエネルギーがある時にチョイスした、物やご縁のあった方々の中から、助けになる物や人を探す方が賢明だと思うのです。ですので、がんの闘病にあたっては、自分から新しい情報は入れずに、この時点で持っている駒の中から出てくる代替治療や人脈を頼りにして行こうと決めました。
今の社会は、幸か不幸か、インターネット上に、ありとあらゆる情報が溢れていまて、誰でもどんな情報でも選ることが出来ます。便利な反面、自分にとって、本当に有益な情報をチョイスするのが、難しい。まして、病気の事となると、誰しも不安な状況で、底のない情報に飲まれて、迷子になってしまう方も多いと思います。そうなると、自分が行っている治療自体も不安になり、不安になりながらの闘病生活に疲れて、良くなるはずの治療に、良い成果を出せないと言うこともあるかと思います。
「病は気から!」、病気以外に不安要素は、極力排除して、気持ちを上げて闘病する。それが、私が、がんと言う病と闘う為に、大切な事だと思ったのです。
治療開始
そして、2019年2月、術前抗がん剤投与が始まりました。
私はがんになる前から、体の感覚を鍛える勉強をしていたので、自分の体に合うものを選別することができるようになっていました。抗がん剤投与は、3週間毎に行いますが、次の投与日までの3週の間、毎週毎週、出る副作用の種類か違います。となると、合う漢方薬も違ってくるので、その都度、その時の副作用にあった漢方薬を服用しなければなりません。ですので、毎朝、自己調身して、その日の体調にあった漢方薬を服用していました。
また、抗がん剤の種類が変われば、当然、出てくる副作用も違ってきます。そして、それにあった漢方薬で、日々、対処。当時は、20種類位の漢方薬をストックして、毎朝、毎日、漢方薬や食材を自己調身して選ぶ生活を続けていました。
とはいえ、漢方薬を服用して、抗がん剤の副作用が全くなくなった訳ではありません。脱毛の副作用は、もれなくあり、髪の毛だけでなく、身体中の体毛が全て抜け落ちて、抗がん剤って、すごっ!と、痛感しました。また、元々、血管が細かった私は、抗がん剤による血管痛が酷く、投与中は、看護師さんが、血管を柔らかくするために、カイロを血管の上いてくれましたが、それでも痛かったですね。一度、抗がん剤を入れた血管は、ダメージ受け、次の投与には使えなくなるので、回を追う毎に、使える血管探しで、何回も針をさしたり、普通の点滴では使わないような部位の血管から、入れたりと、、痛い痛いでした(笑)
それとは別に、投与当日は、私なりの対策をして、挑んでいました。息子の親友のママ友さんから頂いた、Bグルカンのサプリメント(抗がん剤の副作用を軽減作用ありとの事)を投与中に飲みまくる、シルク靴下の重ね履き(足裏から解毒効果ありとの事)、肝臓ひまし油湿布(肝臓からの解毒効果ありとの事)をする、水分をとる、です。
投与中の血管痛はありましたが、投与後は、上記のような対策や漢方薬を服用したり、食事に気をつけたりしていた効果のせいか、身体が辛くて、寝込んだりするような事は、ほとんどなく、副作用は色々出ていましたが、普通に生活する事が出来る程度のものでした。知り合いの抗がん剤体験者に聞いていた副作用よりも、楽に闘病出来たのは、大変有難い事です。また、副作用が出ても、その都度、自己調身してチョイスした漢方薬や食材で、症状が軽減されると、嬉しくなって、闘病生活も悪くないなあ、と思う事も出来、前向きな毎日を送る事が出来ました。
後半の抗がん剤が、浮腫の副作用が強く出る薬剤で、漢方薬でも抑えこめず、どうしたものかと思っていたところ、冷蔵庫にあった、蓮根と菊芋が無性に食べたくなりました。気がついたら、無我夢中で、それらをすりおろし、蓮根&菊芋餅を作り、夕飯はそれのみを、たらふく食べていました。そして、次の日の朝、下痢ではなく普通の便を出した後、肛門から水がジャージャー(汚い表現ですみません(>_<))出てきたのです!尿で出なく、腸からの水分です。それで、浮腫が一気に解消されました。後から調べたら、蓮根や菊芋には浮腫をとる働きがあるとの事。この時、食べ物ってすごい!!そして、この食材を無心でチョイスした自分ってすごい!(笑)と思いました。この経験から、治療を無事終えることが出来ていたら、食の勉強(=薬膳料理)をしてみたいと思いました。
闘病中の食事
がんになった、ほとんどの方が、食事の見直しをされると思います。世の中には、「がんに効く、がんを治す」等と言う、あらゆる食事療法情報が溢れていますが、この療法では、食べて良いものか、あの療法では、食べてはいけなかったり、、、究極、食べる事自体NG、だったり、、何を信じれば良いかわからなくなる方も多いと思います。
私も、がんになってしまい、自分で身体を立て直すには、まず、食事を見直そう、と思いました。自分は子供を育ててきたのもありますし、大学時代、食物学の勉強をしたこともあって、そんな酷い食生活をしてきたつもりはないのですが、食べたいものを好きなだけ、食べていたので、今回はしっかり、身体に良い食生活をしなければ、と思いました。
まずは、ほぼ毎日飲んでいたお酒を止めました。これは、抗がん剤を投与するのですから、肝臓に負担をかけるアルコールは、NGです。こんな機会でもない限り、禁酒なんて出来なかったと思います(笑)
その他に実践したのは、今まで親しくさせて頂いた方からのアドバイスや、がんになる以前から、身体に良さそうな食事だなあ、と思ったことの中から、自分にあったもの選びました。また、「無理なく、ストレスにならず、続けられること」が、選ぶポイントでもありました。食事で身体を変えるまでになるには、ストイックな事を短期間やるより、出来ることを長く続ける事か、大切だと思っていたからです。
具体的には、人参&りんごジュースをジューサーで絞って、ビタミンCと一緒に毎朝飲む、健康ふりかけ&納豆、発酵食品を毎日食べる、乳製品や赤身肉(豚肉や牛肉等)は控える(鶏肉はOK)、野菜&魚中心、甘いものは極力控える(菓子類、スイーツ、清涼飲料水等はNG)、揚げ物は控える、身体を温める調理法の工夫(野菜は生でなく、スーブや蒸して食べたり等)、鰻を週一回食べる(美味しい鰻の名店巡りをしていました)そして、毎日の食材は、その時の身体が欲している物を、選んでいました。
事件
さて、漢方薬や養生のお陰で、抗癌剤を投与しながらの生活も順調な手術1ヶ月前の7月、ある事件が起きました。
その日は、熱中症警戒情報が出るくらいの暑い日でした。祝日で友人とホテルでランチする予定で、朝から支度していたのですが、何となくダルいなあ、と思っていました。友人と会った頃には、なんか、頭が熱くて重い、美味しい食べ物を前にして、食いしん坊の私が、食が進まない。。もしや、熱中症!?その内、寒気もしてきて、さすがに異変に気づいた友人が、「顔色悪いよ。とりあえず、熱計ったら。」と、フロントから、体温計を借りてきてくれました。そこで、熱を計ったところ、なんと、39度!!えー、私、熱あったんだあ!!その瞬間、その場で倒れ込んでしまい、タクシーで病院へ。休日だったので、救急外来で診てもらい、即入院となりました。
次の日、H先生が、病室に来て下さり、「サキさん、抗癌剤で、好中球落ちている時期は気を付けないと、、発熱性好中球減少症ですから、とりあえず、敗血症になっていないか、調べますから。」と。私は、敗血症!!って、かなりヤバイかも、、と青くなりました。
「検査の結果を出るのに、一週間はかかりますが、とりあえず、抗生剤の投与は始めます。」と、H先生はおっしゃいました。しかし、なかなか熱は下がらず、その内、咳が出てきました。
敗血症の検査結果は、陰性と出てホッとしたのですが、あまりに咳が酷いので、肺の検査をしたところ、肺炎になっていました。H先生がおっしゃるには、「抗癌剤の副作用から間質性肺炎になっている可能性があります。今後は、呼吸器科のドクターと一緒に治療していきます。間質性肺炎は、怖い病気ですが、幸い、うちの病院には、間質性肺炎の権威のドクターが月に何度か来て頂いているので、そのドクターに所見を診てもらいますので、大丈夫です。」と、有難いお言葉を頂きました。とにかく、先生方にお任せするしかない、と治療に専念しました。
災い転じて福となる
結局、この入院は、3週間弱かかってしまいましたが、すっかり、元気になり、最終日に、乳がんの局所の検査をして退院しました。
数日後、検査結果を聞きに行くと、H先生は、「サキさん、がんは、画像上すべて、消えています。」とおっしゃいました。「そーなんですか!!抗がん剤、局所にはあまり効果ないかもと言うお話でしたが、効いたんですね!」と、私は、びっくり!「そうですね。効果ありましたね。こう言う事もありますからね。良かったです。」と、H先生。「となると、手術は、全摘しなくても、部分切除で大丈夫とかですか?」と、私。「部分も何も、画像上は、がんはありませんから、部分切除は、出来ません。」と、H先生。「じゃ、手術しなくて良いですか?!!」と、喜んだのですが、、「今の医学では、画像上、がん細胞を確認出来なくても、全くがん細胞がないと証明するには、摘出して、ミリ単位に切り、それらを全て病理検査して、その結果を出さないと完全に無くなったとは言えません。サキさんのがんの大きさ、タイプを考えると、私は、全摘出手術するべきだと考えます。」と、H先生は、おっしゃいました。がんが無くなっても、全摘か、、私は、そう思い、悩んでしまいました。
「全摘して、病理検査して、そこで、がん細胞が無く、さらに、リンパ節転移が認められなければ、術後の放射線、ホルモン治療はされなくても良くなると思います。ただ、分子標的治療は、最後までやって頂きたいです。そこまで、やって頂ければ、寛解に近い状態になります。手術して、病理に出して、完全にがん細胞が無いことを証明しましょうよ、サキさん。」と、いつも淡々とお話される、H先生ですが、この時は、熱く語り掛けてくれたのを、今でも良く覚えています。その言葉を聞いて、(10年間のホルモン治療なし!?マジで?!これで、リンパ節切除も無くなれば、当初私が、望んでいた治療になる。全摘手術する覚悟は、最初に出来てたし。)と、気持ちを立て直しました。(最初に治療方針は、H先生に全てお任せと、決めていたじゃん、私!ここで、ぶれちゃダメ。もしかしたら、セカンド・オピニオンで、他の病院に相談したら、手術しなくて良い可能性もあるかもしれない。でも、H先生に従う事が、ベスト。中途半端な治療して、再発の心配上げるなら、全摘手術しよう。)と、決めました。
「わかりました、手術します。先生、よろしくお願い致します。」H先生も、ホッとされたご様子。
画像上がん細胞がない状態での、全摘手術、家族や近しい友人は、しなくても良いのでは、と言っていましたが、私は、手術することがベストと決め、迷いなく、手術当日を迎えました。
手術が終わり、病理検査の結果は、合計5cm程あったがん細胞でしたが、5mm弱分、非浸潤がん組織か認められるだけになっていました。H先生曰く、「ほぼ完全奏功の状態です。さらに、リンパ節の転移はありませでした。これから、分子標的治療を最後まですれば、放射線、ホルモン治療はしないで良いと思います。」と。
私は、心の中で、ガッツボーズをとっていました。右乳房は、失ったけれど、この結果を得られた喜びのが、勝っていたのです。